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TENMEI 〜生きる道を見つけた人〜 vol.3

「使い捨て」の時代から、「大切に使い続ける」文化を

和紙で有名な身延町西嶋地区に1軒の布団屋があります。地域の人に慕われ、地域の中で営み続けた笠井ふとん店。そんな笠井さんが今の時代だからこそ訴えていきたいこと、大切にしていきたいことがあると言います。街づくりにも貢献してこられた笠井さんに胸を借りるつもりで、お話をお聞きしてきました。

布団屋をなし崩しのまま終わらせたくない

 この布団屋は、祖父が創業してもう100年以上になるかな。
 元々は紙屋だったんです。和紙の。当時、紙をやりながら木綿も育てていたんでね、この木綿もどうにか活かせないかと祖父が考えて、布団屋を立ち上げたそうです。その後、父が継いだけど、経営より政治に興味がある人でね、結局その当時あった数千万の負債も含めて、私が全て引き継ぎました。
 その頃が30代。今から30~40年前だから、ちょうどバブルの全盛期で、布団も仕入れたら仕入れた分だけ売れた時代。その当時から布団の需要がなくなることはないと思っていたけど、今は布団屋で布団作る人もいなくなったね。使い捨ての時代だから、専門店で作るより、ネットや量販店で買って、古くなったら捨てる…打ち直して使い続けるのは年配の方だけになりました。
 今の若い人は、布団を打ち直して使い続けるものだという認識もないかもしれないけど、昔はみんなそうやって使っていたものです。じいちゃんや、お父さんが使っていたものを世代を超えて使っていくとかね。その頃が30代。今から30~40年前だから、ちょうどバブルの全盛期で、布団も仕入れたら仕入れた分だけ売れた時代。その当時から布団の需要がなくなることはないと思っていたけど、今は布団屋で布団作る人もいなくなったね。使い捨ての時代だから、専門店で作るより、ネットや量販店で買って、古くなったら捨てる…打ち直して使い続けるのは年配の方だけになりました。
 いくどか、朝に依頼されたものを、夜寝るまでに仕上げて持っていってあげる…なんてこともありましたよ。これも自分のところに職人がいるからできることかな。
 まず古い綿をそのまま機械に入れるんです。そうすると何十万本という針が回転しながら硬くなった綿を挿してくれる。それが今度は大きなローラーに乗ってきて、綿の形になって出てくるから、それを折りたたんで袋状のカバーに入れて仕上げるという感じ。綿もその人の要望に合わせて、純綿と化学綿の比率を調整したり、体重のかかる腰の部分は厚めにしたり…と少しでも快適に、長く使っていただけるようにやっています。
 とはいえ、この峡南地区(旧増穂町から旧南部町あたりまで)でも、職人が機械を回して仕上げる布団屋は、もううち一軒。昔はいっぱいあったのにね。うちもきっとあと数年かなと考えています。
それでもね、その数年の間に布団屋としてできること、やり切りたいことがあるんです。ひとつは、今の若い世代にも「使い捨て」じゃなく、「物を大切に使い続ける」ことを知ってほしいということ。そしてもうひとつは、布団屋をなし崩しのままで終わらせたくないということです。

築き上げてきた人間関係が原動力。それが今に繋がっています

 この店を継いだ当時、父が作った借金は数千万ほどありました。「そんなの自分が作った借金じゃないんだから逃げちゃえばいい」と言われたこともあったけど、やっぱり産まれ育ったこの土地にいたいじゃないですか。だから債務者もすべて自分の名前に変えて、自分の責任でやっていこうと決めたんです。
 当時は、深夜の飲食店で皿洗いのバイトなんかもやっていました。借金を返済するために必死だったけど、今思えば、結局そうやって、いろんな所に顔を出す機会が増えたことで、知り合いが広がっていったんだと思っています。困った時に助けてくれる人が多くなると、なんとかがんばって、その恩を返さなきゃ!とやりがいにも繋がるし、何よりも自分が楽になっていくよね。山梨には昔から「無尽(むじん)」と言われる知人同士の寄り合いの文化があって、それも助け合いの場になってる。
 だから、そうやって苦しいときだからこそ、自分から積極的にコミュニティを作っていったんです。そうしたらどんどんネットワークができて、県内中に知り合いがいる状態になりました。当時の仲間が今も繋がっていますよ。



 この地域で何十年と仕事をさせてもらってるんですが、そうやってみんなに助けてもらってきたからかな、恩を返したいというか、自分ができることをやっていきたいという想いがあります。長く仕事をさせてもらったという感謝の気持ちかな。
 数年前までは、地域振興のひとつとして、「コスモス祭」といってコスモスを一町歩(いっちょうぶ)ほど撒いてイベントをしたり。沼津から生きたアジや鯛を持ってきて、それをプールに入れて摑み取りなんてのもしたかな。
 ここ数年で盛り上がっているのは、西嶋のイルミネーション。この集落の1軒が点けたことから始まって、今じゃ30~40軒のお宅で点けるようになりました。500mの道沿いに10万個以上(推定)の電球が点灯するんだから、圧巻だよね。
 できるかどうかは別として、動いてみるべきだなとつくづく実感したのは、2009年に若田光一さんが宇宙へ行ったとき。打ち上げられる前に、若田さんがテレビかラジオで「宇宙へ行って何がしたいか」と聞かれて、「書をしたい」と言ったのを聞いたんです。それですぐに「書をしたいんじゃあ、西嶋の和紙を持って行ってほしい」と知人を介して伝えてもらいました。そうしたら本当に、西嶋の和紙を持っていってくれて。「西嶋の和紙」を全国に知ってもらう機会になりました。若田さんが宇宙で書いたものが今、和紙の里に置いてありますよ。

世代を超えて使い続ける文化を伝えていきたい

 なんでもね、自分が思うことはやってみたいんですよ。実現できるかどうかは別として。今、布団屋以外にギフト店もやっているけれど、この地域の中でまだ布団屋もやっているんだということ、ここが自分の出発点だし、みんなに知っておいてもらいたいという気持ちがあります。自分のためもあるんだけど、布団屋のおっちゃんとして、何かしらに自分が貢献できればいいなと思ってます。思い入れが詰まっているものを、再度形に戻すとか。今やらないと、本当に布団屋はなくなってしまいます。もう一度使い続けるという文化を若い人にも伝えていきたい。今がその最後のチャンスかな。物を大切にするというのを訴えたい。
 綿は代を繋いでいけるもの。それは想いを繋ぐことにもなります。
 そういういことを残り数年、伝え続けていきたいんです。うちに仕事がこなくてもいい。気が付いて、物を大切にすれば使えるんだという事が分かってもらえればいいんです。この仕事は、機械が壊れたらおしまいだし、年齢的にもいつ辞めてもいい状態。だけど、そういうことをみんなに知ってもらいたいんです。今の若い人に。この布団を作り直せは、まだまだ10年でも15年でも使えるんだという事がわかってほしい。

 そういう想いで、最後までやりきりたいと思っています。